COEDOビール、よなよなエール、銀河高原ビール…。最近、クラフトビールの勢いが凄まじい。クラフトビールという言葉を当たり前のように使うようになったのは何年前からだろうか?
似た言葉に「地ビール」がある。それらは高くて美味しくない観光ビールの代名詞のようなものだった。
「クラフトビール」というジャンル誕生の立役者として、コエドブルワリー朝霧社長を取材した。
COEDO(コエド)は、日本クラフトビールの代表選手として知られ、熱狂的なファンも多い。近年ではコンビニやスーパーにも並ぶようになったから、ふだんビールを飲まない方でも見たことがある人は多いだろう。美しいカラーデザインと「COEDO」のアルファベットが目を引く。日本古来より伝わる色の名を取って、伽羅(きゃら)、瑠璃(るり)、白、漆黒、紅赤という5色のラインナップである。全て個性的な味だ。
世界的な評価も高く、ワールドビアカップ、ヨーロピアンビアスターアワード等、権威ある大会でゴールドメダルやシルバーメダルを次々と受賞。在日ドイツ大使館では大使館御用達のビールとなっている。
◆農業ベンチャーとしてスタート
このように、今でこそ世界を股にかけて光り輝くCOEDOだが、その原点は意外なまでに泥臭く、愚直であることをご存知だろうか。
そもそもCOEDOとは、かつて江戸への物流拠点であり昔ながらの町並みを残す「小江戸」、すなわち川越市を指す。コエドブルワリーはそもそも有機農業や産直の会社として川越でスタートした農業ベンチャーであった。
そしてこの川越には、1980年代後半、有効利用されていない2つの作物があった。 ひとつは、緑肥用の大麦。連作障害が起こらないよう畑に鋤き込まれるためのものだったが、コエドブルワリー創業者はこの「麦」を使ってビールを作れないかと考えた。しかし時は酒税法改正前。国内で麦芽の製造委託先も見つからず、この着想は幻に終わる。
◆世界初のサツマイモビールの誕生
創業者が次に着目したのがサツマイモだった。川越の伝統品種「紅赤(べにあか)」である。紅くて甘くてほっこりしているが、作りにくく収量も少ない。4割が規格外品として、加工に回されるか廃棄されてしまう。折しも1994年に酒税法の規制緩和が起こる。「芋焼酎があるならさつまいものビールがあったっていいじゃないか」。地ビールブームにも乗る形で工場建設に踏み切り、世界初のサツマイモビール“紅赤(べにあか)”が誕生した。
◆地ビールじゃない、クラフトビールを作っているんだ。
ところが工場ができあがった頃には、日本の地ビールブームは終焉してしまった。コエドブルワリーの売上もみるみる落ち、苦しい時代が続く。全国で多くの地ビールメーカーがつぶれていく。ここでコエドブルワリーが他の地ビールと異なっていたのは、当初からドイツ人のブラウマイスター(ビールづくりの職人)を5年間にわたって呼び寄せ、徹底的にビールの作り方、職人魂を伝授してもらったことだった。
技術と職人魂には絶対の自信があった。「自分たちが作っているのは地ビールじゃない。クラフトビールなんだ」と社員を励ます。そして、コエドビールの未来を決める大改革に打って出る。
◆新生COEDOブランドの立ち上げ
2006年10月。それまでバラバラ感のあった銘柄を、特徴ある5銘柄に絞り込み、新生COEDOブランドを立ち上げた。ここには多くの決意が込められている。
「地ビール」ではなく「クラフトビール」へ。
「小江戸」から「COEDO」へ。
川越土産ではなく世界へ発信する「日本」のビールへ。
ブランド・デザイナー西澤明洋氏の協力を得て行われたこの一大リニューアルは、誰もが知る大成功を収めた。
◆「クラフトビール」の牽引役として
「クラフトビール」という言葉は、COEDOの成長や浸透とともに広がっていった言葉であることは間違いないだろう。その意味でCOEDOは、日本において「クラフトビール市場」という市場を作り出し、我々に新しい味わいのビールを楽しむ機会を作り出してくれた。今後もさらに世界にむけて日本のものづくりの品質を発信してくれるに違いない。
関連サイト: 株式会社協同商事コエドブルワリー
(文責:金築俊輔 ブランド総合研究所 シニアコンサルタント/地域活性化アドバイザー)
※この記事は、ブランド総合研究所が農林水産省の補助を受けて制作した『食のバリューチェーン構築のてびき ~6次産業の高付加価値化に向けて~』の記事を再構成したものです。